青春は先週で終わった


先週、ついに30歳になりました。

もう?の人もいれば、まだ?の人もいる。

年齢がよく分からないと、よく言われます。

30歳になって数日、どうしようもないくらい何もしたくない時期が少しずつ明けてきました。

私のように、仕事の側で活動する人間はどうしても日常の方に色々引っ張られます。

あまりにも平坦で、それなりに忙しく、特に何を思うまでもなく過ぎる日々という

素晴らしく幸せな時間が、何故か狭苦しさを感じさせる。

そんな贅沢はそっとお皿の端に寄せて眺めていたいものです。

無明長夜という活動もいつの間にか時間が経っていて、

始めた当時と比べたら、中の人的にはいろいろ変わった気がします。

ただ、30歳という節目は20歳の時に思っていた30歳より

あんまり何も感じないものだなとか思ったり。

どっちなんだよ。なんですけど、どっちも感じるのです。

せっかくだから何かしようと、実はアーティスト名を変える(短くする)ことを考えてました。

ました。

ました。なので、もう考えてません。

いつかこの長い夜が明けたら「無明」を取ろうとしてましたが、一生明けないくらいが

本当はちょうど良くて、多分明けてしまったその時はもう、アーティストを辞めていると思います。

この頃は色んなことがどうでも良くなって(良い意味でも悪い意味でも)

アーティストでも何でも良くない?哲学者でも何でもなくない?とか

たまたま自分のやりたいことに当てはまる言葉が

コンセプチュアルアーティストというところにあって。それを使っているわけだろう?とか。

どうでもいいことをだらだら考えたりしています。

他のアーティストさんから見れば私は何者でもないかも知れないし、

何者か分からないままTwitterとかで私をフォローしてる人も多いんじゃないんだろうか。

絵描きが歌を歌うなとか立体やるなとか。

ユーチューバーがTVに出るのがどうたらとか。

肩書きの呪縛に囚われてしまう人が多い世の中で肩書きにこだわるのは、

自分の可能性を狭めるものになっているような気もして。

最近、散々めんどくさがってやらなかった絵を描き始めて(中学生ぶりに)

それはそれで素直に楽しくて描いてますが、そこは個人の趣味としていて。

結果、これらが作品として評価されたり仕事になるのであればそれはそれで

やっても良いかなとか。ありもしないポジティブな妄想をしていたりするので、やっぱり私は何者何だろうなという話に戻るのです。

何だって本当はいいんですよ。

今はマルチクリエイターとか、フワッとした言葉が当たり前にあるので。

ハイパーメディアクリエイターも今なら浮いたりしないんじゃないんですかね。

私がやりたいのって、子どもみたいなもんでして。

これどう思う??を色んな人に聞いて回るみたいな無限の情報収集みたいなやつで。

例えばそれが絵なら、そこが入り口になって、

私が私のために作っている「問いかけ」の作品に興味を持ってもらえるなら良いなとか。

最近はSNSで色んな言葉を見かけました。

芸術じゃない。とか、食っていけない。とか、本質ではないが実際は〜とか

断片的かつ曖昧に記憶してる言葉が頭の中をいつも舞っています。

自身が身を置いているのが、芸術の世界だと思っていたので

堅いな〜とか、冷たいこと言うな〜とか思ってたりしたんですけど、私は多分どこにも足がついてなくて。

そう思うと色んなことがウィンドウの向こうで起きてることのように見えてくるのです。

自分が悟りを開いたみたいな言い方ですけど、どっちかって言うと無関心なのかも知れません。

この辺は私も私自身を理解し切れてないので、置いておきます。

個展まであと2ヶ月足らずだと思うと心が折れそうでゲロ吐きそうな気持ちなんですけど、

そもそも年末にこんだけコロナコロナ言っててまたギャラリー閉鎖にならないか不安なんですけど、

今日も私は無明長夜です。

それでは良い夜を。


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