有効視野


唐突に、どこにも文字として書いてないことがあった気がしたので久しぶりの更新。


明確にどれがそのシリーズかとは決まってたり決まって無かったりするのですが、ANTI AND POP という私の作品達がいます。


何を媒体としているかと、作品が持つメッセージの方向性で決めているジャンルみたいなものです。

作品名としては出てきませんが、一応そうであるものとないものがあります。



そしてANTI AND POPシリーズの原点にコラージュがあるんですが、今日はこのコラージュについて

どういうものなのかみたいなところを書きます。



ANTI

この「BONSAI」という作品はコラージュで作成されています。





前回の個展である What do you think ? を見ていただいた方なら

恐らく5秒以上作品を見てくれていたら気付くと思いますが。


このコラージュはその辺に落ちていたゴミや否定的なもので作られています。

車に踏まれてぺしゃんこになったペットボトル

鮭おにぎりの袋

ビニール傘

道路に貼られている路上喫煙禁止マーク

etc..


ここには私なりのルールがあって、

あくまで私はこの落ちているゴミや付いている物(以降ANTIと呼びます)に干渉はしてはいけないと思っています。

干渉しないというのは、ANTIには一切触れない事。

ANTIには触れず、間接的にも動かさず。ありのままの姿を収めることで私は傍観者であるという線を越えません。


見つけたら拾って捨てればいいのにと思う人もいると思います。

ではその言葉を投げかけた人は、果たして同じ行いをしたことがあるのか。という話になり


仮にしていたとして、それは常に当たり前のように行っているか。となればほぼ100%あり得ないでしょう。

「こちらにもこちらの生活があるのだから、自分の生活を捨ててゴミ拾いなんかしない」

という結論になるのではないかと思うのです。


捨てたどこかの誰かが悪い。

どこかの誰かがやる。


責任の押し付け合いや想像への期待がここには渦巻きます。

私はここに干渉してしまったら、表現者ではない何かになると思っているので

寸前まで近寄ろうとも干渉はしたくないのです。



私がANTIに寸前まで近寄り、記録しているものは

私が気付き観察するまでにされてきた傍観の痕跡や人間像などの情報であり

環境問題に石を投じるための策を練るための情報ではありません。



色々な問題にメスを入れんとするアーティストは多くいます。

全部が全部とは言いませんが、日本人なのに海外のごみを使って作品とする方もいたりするわけですが

私はここに違和感を感じてしまうのです。


同じ問題ならどこにでもあるのに、わざわざ自分とはかけ離れた大き過ぎる問題に取り組もうという姿勢。

環境問題をどうにかしたいのか、表現がしたいのか、ビジネスがしたいのか。


私には腹の中が見えなくて恐ろしいものに見えてしまうのです。

目的があってそこに行き着くのか、大いなる何かの意思に操作されているのか。

そこは知りたいという欲求すら湧かない未曾有の恐怖に感じます。



きっと、本当にただただ良いことがしたいという人もいるとは思いますし、

そういう方々を攻撃したい意図はありません。

取り繕った言葉を語られるくらいなら「自己満足です」と言ってくれた方が何倍も信用できるので。


色々書きましたが、私がコラージュ素材のANTIを回収する時のルールや背景はこういった意図がありますよという話。



景色

前項で干渉したくないとさんざん書きましたが、実際のところは干渉してしまっているとは思います。

ANTIが潜むのは景色。この景色とは、意識せずに歩いたりしている日常の有効視野の中にいます。


つまり、本来なら認識すらせずに通り過ぎる景色の中に私は既に干渉して、ANTIというものを認識して観察してしまっているのです。


これは人生においても言えることで、あらゆる日常は干渉しなければ景色として過ぎ去ります。

景色とは彩り豊かで様々な形を持ち。正確に捉えずとも何かしらの情報を我々に与えてくれますので

景色側は一方的に我々に干渉してきて、綺麗とか暗いとか明るいとか思わせます。


私が作るANTI AND POPというシリーズには、景色(POP)と隣り合わせにいるもの(ANTI)みたいな背景があるのです。


前回の個展で、あまりにも壁と馴染んでまさに景色化していた作品がこちら↓





public enemy」という作品です。

素材には強化繊維プラスチックを使い、そこにステッカーをべたべたと貼り付けました。

モチーフは歩道橋で、最新の物を除けば大概の歩道橋には落下防止などの目的で強化繊維プラスチックの板が張られています。

雨に打たれ、繊維がむき出しになり。排ガスや色んな影響を受けて独特の風合いに変化していくのですが。

同時進行で落書きやステッカー、ガムなど。様々な方法でカスタマイズされていくのです。

恐らくここまでされる公共物も公衆トイレかこの歩道橋くらいなんじゃないかと思います。


本当はスプレーやガムの後とかとにかく汚ごしたかったんですが、精密な再現をしたかったのではなく。

あくまで概念として、景色として作りたかったのでこれに収まりました。


この景色は公的には悪である存在ですが、私はいつもこの景色を美しいと感じるのです。

プラスチック板を透かす街頭や車の明かりがぼんやりと混ざり合い、あらゆる他人がここをめがけて何かを仕掛けていく。


美しさとは。公とは。敵とは。

そんな思いがこの作品の背景にはあります。



書き疲れたので今日はこの辺にします。

それでは。


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