仕事で徹夜明け、仮眠を取ってガッツリ制作に当ててやるぜ。と意気込んで寝たが目覚めたのは正午を遥かに通り過ぎて15時に差し掛かろうとしていた。
個展が終わってあっという間に時が過ぎていく。
今日も誰かがたくさん時間をかけて作ったものがどこかで展示されていて、あっという間に会期を終えるんだろうなと思うとアーティストは蝉のようだ。土の中でせっせと製作しても、大半の成虫は1週間だけ地上に出てまた土に帰っていく。減るはずだった荷物が一つも減らない事だってザラにあるのだ。この世界は。
先日、微妙に遠いつながりで知り合った若きアーティスト(と呼ばせてもらう)が知人と2人で展示をするというので見に行った。
私は元々写真をやっていたし、それを表現技法としていた身だが、写真作品の展示は実は初めて行ったかもしれない。ましてや今回足を運んだ展示はセルフポートレート(ヌードや肌が多く出る表現が多い)で、はてどう見れば良いものかと結構考えた。どう見るべきかを問うのは野暮だなと、事前に二人の作品などを見て封印した上で向かった。
結論から言えば正直まだ答えは出ていない。答えを求めることすら野暮かもしれない。そういうセンシティブな表現をそこに感じつつ、衝動性や葛藤といった各個人のリアルが十分に感じられるものではあったと思う。これが写真展というものなのかもしれない。
人を撮るカメラマンは腐るほどいる。己を撮る人も同等にいる。
彼らと今回の人らで技法以外の明確な違いが何かも私は答えが出せないが、私にしかない意識や意図がそこにあるのだ!という信念のようなものは感じられた。二人の作品はタイトルもキャプションもなく、どちらの作品もややごちゃ混ぜの展示で、インスタレーションなのかなとも思ったがそうでもない様子だった。(双方とあまり話を出来なかったので真意は不明)
勝手ながら、自分の初めての展示と照らし合わせて色々考えてしまった。何故、その作品がアートであるか。写真は特別これを伝えることが難しくて。そもそもこの展示はアートをやりたかったのかすら、理解するところまで踏み込めなかった。と言うのも聞くほどの関係性もなく、間違っても年下相手にマウントを取るような真似をしたくなくて踏み込めなかったところはある。次にどこかで会うことがあれば、もう少し丁寧に踏み込んで話をしてみたい。
活動3年目にしてようやっと他のアーティスト、表現をする人らとの関わりが増えてきて今。結構悩ましいのがどこまで踏み込んでいいものか、とか。その辺である。非常に偏見ではあるが、アーティストは必ずしも友好的ではないし、地雷が必ず潜んでいると思っているのでその辺を見事に踏み抜きそうで私は怖いのだ。
私は特にこの辺気をつけないとヒートアップして探究心に委ねた発言をしてしまうので怖い。これとても怖い。
聞くのも伝えるのも、我々表現者には一生ついて回るのでこれからも悩むのだろうな。
制作そのものには全く困っていないが、もっと多くのアーティストと私は触れ合うべきだと感じる。私もまだまだ無知あり、知らない世界を共有しあって拡張していく面白さが最近あるなと思う。
かといってあんまり難しい話をされてしまうとついていけないので、勉学に励むか。
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