早寝に失敗し、絵を描くのも気が進まないのでレモンサワーをちびちびやりながら文字でも書くことにする。
今日はこれまでにやってきた活動とは、少しズレたチャレンジ達についてなんとなく振り返ろうと思う。
先日Twitterでこれ良かった!という雑誌を一つ上げたが、これについて思ったことをTwitterで書くには暑苦しいかなとか考えて、こういう時はブログにぶつけよう。というわけで書いて行く。
下の写真はspectatorという雑誌。特に毎号読んでるとかではなく、インプット探しに寄った近場の本屋でたまたま見つけた物。
「わび・さび」というテーマにスッと惹かれてすぐ手に取った。
パラパラとページを捲ってみると漫画や写真や言葉といった感じで飽きさせない感じの作りっぽい。じゃあこれ買おう。くらいの感じでとりあえず帰宅。

読み終えて思ったが、これは2019年の物だった。別に古いとか新しいとかどうでも良いのだけれど、普通の書店で探していたら出会えなかったろうなと思ったので本屋B&Bには感謝しないといけない。
もしかしたら気になる人がいるかも知れないのでネタばれは避けるが、構成がとても良い。
多角度から同じテーマについての文献やコメント、漫画や写真といったものが順序立てて詰め込まれている。見たいところだけ見るも良しだが、私はちゃんと全部目を通してしまった。
Amazonで売ってました。↓
で、本題はこれを読んで私の中にある欲望の再熱についてである。
元々写真から表現をスタートした私は、撮り始めて1ヶ月くらいですぐにこれがやりたい。というものがあった。
雑誌を作ることだ。今っぽく言えばジンというべきかも知れない。
とにかく私はPOPEYEとかああいった情報誌の空気感にどことなく憧れがあり、自分で作ってみたいぞという気持ちが当時からあったようだ。
それでは早速と、せっせと作ったのは「怪しい夜」というものだった。
現物は私の本棚の隅っこに眠っているが、当時の私は夜しか撮らないという制約を設けていた。れこそカメラを初めてもった瞬間からそう決めていて、本当に1年半くらいは夜しか撮らなかったのでそこそこ頑張ったと思う。
「怪しい夜」では、もちろんタイトル通り夜の写真をメインとしてとにかく撮った写真からお気に入りのものを選び、重い思いの言葉を綴ったりした。しかし見返すと粗が目立ち、すぐにクオリティの向上を目指した。
その後同タイトルのまま新しいテーマを設けて作り直そうと試みた。
夜の縛りは勿論で、そこに被写体を限定するというもの。当時よくフェンス越しやフェンスそのものを撮る傾向があり、フェンス特集じゃ!と超ニッチなところを攻めてみたくなり作り出した。
これも本棚の隅に眠っていて、特に外には出していない。
なぜならやはりクオリティに納得がいかなかったのだ。
作っている時はもう、ワクワクしてこれは面白い…!!と一人で興奮していたが、当時利用していた製本サイトは写真集的なものに適したもので、私が無理矢理フォトショップで作った文章と写真という構成の
それもサイズも用紙サイズを無視した作り方ではどうにも文字の画素が荒かったり見切れていたりとお粗末だったのでそれはもう落胆した。
この辺で雑誌作りたい欲のお熱が少し収まったが。写真表現を脱却しようとし始めたコロナ流行初期に再び作ろうと決心する。
この時作成したのは「Copy&Paradox」というもの。
表紙の写真だけ、当時のものを載せておく。(現在非売品)

過去何度かブログでもこの「Copy&Paradox」に触れているが、着想から製本化までを2週間で行うという無謀なプロジェクトだった。
雑誌のタイトルのように、コピー(既視感や模倣、反復といったもの、こと)とパラドックス(コピーから伴う矛盾)という形をここでは作ろうとして、チープでインスタントに仕上げようと試みたアートブック的なもの。
当時、まだ写真界隈として交流をしてくれていた方々が何名かこれを買ってくれて。思い思いの言葉を頂いたのは今も少し思い出す。コメントまでいただいた後フォローを外された方もいれば、これは私にとってアートじゃなかった。というお言葉もいただいた。
良くも悪くもSNS上で反応を得られたのはこの時が一番だったと思う。
狙った粗さとは別の意味でも少々粗い部分はあったかも知れないが、そこも含めて良かったなと思う。
作ろうとしたきっかけは、当時ギャラリーが緊急事態宣言で閉館に追いやられ、私もその影響を受けた一人であったからだ。
オンライン展示がそこら中で開かれているのがなんだか気持ちが悪かった。デジタルを下に見ている者達が急に掌を返して今こそインターネット展示だ!みたいな感じがなんとも。
そういう反骨心みたいなものから、逆に紙面展示やってやろう。と思ってかった人しか見れない展示という形でこれに至った。
今の私なら、どんなものが作れるだろうか。またいつかやるかも知れない。
そして最後に、初めて人と作ったのが「イチニンショウ」という対談記事。
今も親交のある友人と、私はこういうのがやりたいんだ。という話からやってみましょう。で始まったディレクションユニットという活動。
結論から言えば、発足から1年近く相方が忙しいということでまともに活動やそれらしい行動が出来ず、ようやく動き出した「イチニンショウ」という企画は2回目にして私から打ち切りと解散を申し出る形になってしまった。
簡単になぜ打ち切りかという部分だけ触れれば、私がやりたかったこととズレてしまっていて。そして何より取組への温度感が相方と合わずに私が一人でモヤモヤしてしまっていたこと。
このままやってたら、こいつのこと嫌いになるな。ということで素直に思う事を伝えて打ち切りと解散が同時に来ました。
ただ、折角作り上げたものなので記事だけはまだ生きてます。
たった2つのお話ですけれど、興味があればどうぞ。
思ったより丁寧にこれまでの事を書いてしまったが、そろそろ本題の本題に入る。
これまでざっと3種類の読み物を作ってきて、たまたま出会った雑誌から思うのは
私は一つのテーマについて掘り下げる雑誌が作りたいということ。
特に「イチニンショウ」での失敗は当初1テーマに対して私と無関係の誰かが対談をして、その中でスタイリストによるファッションコーデを交えて撮影もする。というものだったが、なんだかここがズレてしまいその人について掘り下げる。になってしまったことだった。
話が少し戻ってしまうが「イチニンショウ」の名前を決めるとき「junction」とで意見が割れた。私は後者だったが、なんとなく「イチニンショウ」の方が語感もよくという感じで決まり、ここでテーマが引っ張られたのだと思う。
結局のところ、私の表現活動と紐づくのは「正しさとはなんたるや」で、私が作りたい超ニッチな雑誌は1テーマについて様々な人間と角度から掘り下げる。というもの。
めちゃめちゃどうでもいい話題について真剣にふざけながらかっこよく面白く掘り下げる。くだらないを本気でやる。そういうものだ。
「ポテトが無性に食いたくなるのは何故か」
とか
「明け方前の高揚感について」
とか
飲み屋の突き出しにも微妙なレベルで良いのだ。
泥酔寸前の記憶に残るか乏しいような言葉を素面でちゃんと向き合うという苦行の先に、悟りはあるだろうかみたいな試みに、私は胸躍らせたい。
そこにはきっと執着があり、それぞれの正解がある。
言葉で正解を出す必要はなくて、各々が重い思いに出せる成果物をまとめたらきっと超ニッチな雑誌は完成するのだろう。
もしもこのブログを読んで興味が湧いた人がいるのなら、是非連絡を寄越してほしい。
真面目にふざけたものを、作りましょう。と
さて、眠くなるためにレモンサワーを入れて文字打ちに励んだが、かえって目が冴えてきてしまった。
仕方がないのでもう一杯飲んでから考えるとしよう。
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