踏破

今日は色々と番狂わせな1日で、結局夕方からこの時間までをロスしてしまった。

休日に仕事をするなんていうのは、愚かとは言わないがしない方がいいことである。



全然活動とは関係ないことだが、期待値で仕事を任せるということはしない。

これは今の仕事と環境故なのでドライな人間というわけではなく

”出来るだろう”で振れる仕事は無いし、そんないい加減な具合で振って頑張ってくれるほど向こうもまた頑張る気がないからである。

それなりに過酷な仕事だったが、ここ数年でなんとなく往なす術を覚えたので

まあ騙し騙し、決して楽にはならないがなるべく仕事という機械作業に時間を取られないように気をつけるようにして今の活動とのバランスを取ったり。

今日はそれが取れず、悲しいことに休日を半分消費してとてもブルー。

絵を描くにはあまりにも目の調子も悪い。多分眠いし疲れている。

無駄に今週が寝不足続きなのが響いている様子。


久しぶりに買ったゲームも、同様の理由で乗り気でない。

何もしなかった日。というのが悔しくてぎりぎり手さえ動けばできるこのブログという苦し紛れを開いたのが今。


余談はこの辺で、今日は寝不足の原因だった自分の執着について少し考えたり

核心に近づいたかもなことを書いてみようかなと思う。



■考えていたこと

①これといったモチーフがない

②描き方に安定感がない

③今の自分は何者?

どれもTwitterでぼやいたり過去の記事でもぶつくさ書いてるかもしれない

まあ最新記事が常最新ということで「ロン毛の考え事.ver4.1.2」みたいな感じで見てもらえればいいな〜って感じで書いている。


それと、自分でも後からいつも気付くのは記事によって話口調だったりなんだったりが違うのは、手が勝手に動いているのであんまり意識はしてないので気にせず。

これといったモチーフがない

これ、前提として生物的なものとかキャラクターというところで考えて欲しい。

過去何度かトライしたものの、どうも醜悪に見えてきて耐え難いので続かないのがこのモチーフ的なヤツ。

過去に様々な哺乳類や鳥類、爬虫類を飼育していたし、今も生き物は大好きだが、これらを描きたいと思ったことが一度もない。

ペットロスは人生において大きな執着を生む要素だが、私のそれは活動に影響しなかった。

少々特殊な家庭環境、人間関係があったが、これもいまいち作品の中に具象化されるほどの影響を及ぼしてないと考えている。

おそらく、自分が過去の環境や人などには既に?元々?執着が無いのだと思う。

或いはすでに消化されて性格や性質の一部となっているのかも知れない。

これらはあくまでこの活動においては。という感じ

唯一描くそれっぽいものとしてあるのは手と火。

手はこじつければ色々言えるがいまいち核心に至らない。

幼少期〜思春期によく手遊びというか手元ばかり見ていた気がする。

人の目が見れないし、人に興味がなかったので自分の世界=手元だったのか

或いは職人技は手元に宿るというか、完璧への憧れから見るシンボルか。

今の段階ではどれもそれっぽいが、それっぽいの域を脱しない。


火は正直わからない。かけるから描くのか、好きだから描くのか。

強いていうなら初めてポケモンをやり始めた頃はヒトカゲ推しだったことくらい

グリーン版しか当時入手出来ず、レッド版が欲しくてしょうがなかった。

少し遅れて発売したブルー版を兄が買った。

兄はカメックスが好きだったので、敵だった。昔から気が合わない。

今書いていて思ったのは、焚き火とか、コンロの日を観ているのが好きだった。

もしかしたら火の美しさに見惚れている的なものがあるのかも知れない。

高揚感より安心感や没入感といったところ。

これも今書いていて思ったが

固有のキャラクターを生み出したりすると、きっと完璧を求めたくなるのかも知れない。

自己投影なのか、なんといえばいいのかわからないがそんな感じがする。


描き方に安定感がない

これは上の話派生だと思う。

絵を描き始めて1年ほど、未だに自分の描き方がわからない。

どれくらいでわかるものかという目安も不明だが、安定しないな〜と描いていて思う。

アナログはほぼやらないし、描くといってもイラレを使うのでざっとイメージを描いたらあとはパスを直す作業なので、人によっては描いてるとは言わないのかも。

ごく稀に、絵柄が安定しないけれど素晴らしい絵を描くな〜と思う人がいる。

残念ながらキャラクター絵にいまいち関心が薄いので推す推さないにはならないが

彼らは描きたいキャラクターを好きなタッチで描く。ということで統一性があるように見える。


私は時間をかけて作ったもの=素晴らしいの主義ではないので

自分が作るものは極力簡単にいいものを生み出したい。

点描画や切り絵、その他もろもろの膨大な時間をかけて作るものが悪いという話ではなくて、自分が作るものにおいて、かけた労力や時間も混みで評価を得たい人間ではないのでということ。


最短で、良いものを。作る過程に意味を持たせたいのではなくて

なぜその結果を生み出したかを語りたい。といえば伝わるだろうか。

多分こういう考え方が、私の絵のタッチとか描き方を統一させてくれない。

この話は正直まだまだ掘り込みが浅い。


今の自分は何者?

これは最近の記事でも触れた記憶があるが、特に振り返らず最新版として書く。

絵を描く前、というか今年の2月の個展まで私は他人に言いたいことがあるのだと自分に思っていた。

「問いかけ」を外に向けて作っていると思って、色々なロジックを考えていたわけで。

幼稚で抽象的で曖昧で複雑なものをやっていた。


2月の個展を終え、休止期間を経て改名したのち、自分の位置付けをふわっとさせてギリギリ、アーティストです。と名乗っている。

コンセプチュアルアートをやっていると思っていたが、私がやっていたことはアイデアアート(そんなアートはないと思うが)みたいなものだったのではと思う。


確かに自分も納得するようなそれっぽいコンセプトを持てていたが、私はそれっぽい事を述べるのが得意なので、自分もそれに騙されていた気がする。

作れば作るほど、これって根本は同じところ息つかないか?という感覚があって結論私は自分の根本にある執着「正しさとはなんたるや」みたいな部分に行き着いた。


じゃあコンセプチュアルでもいいんじゃない?みたいになるが、最初に描いた通り私は外に向けてこれをやろうとしていたが

作り出していた作品はいずれも私の頭の中で考え中なものを一旦吐き出した経過ファイルのようなもので、永遠に完結しないテーマをずっと私は追いかけていたのだ。


これらを作品として生み出す行為は、整理的処理でもあるし、この段階での経過について意見を乞うものだったのだろうと思う。


だから私はこれまで作ってきた作品が如何に荒削りであろうと否定はしない。

概念の輪郭が荒い経過があって、その段階の概念を手にすることで誰かの人生にひらめきをもたらすことがあるかも知れないので。

今は私は漠然と「煩悩をテーマに〜」という感じで活動をしているが、私の煩悩の核は「正しさとはなんたるや」であると現段階では位置付ける。

そう思うと普通に正しさについてをテーマに。でもいいのかも知れない。


肩書きに固執しなくてもいい気がするが、アーティストとはっきりいえないのなら。

自分が向き合うテーマについてはなるべくはっきりした言葉の方が私への理解が高まるかなと思う。

めちゃくちゃ長くなってしまったが、私なりにこの文章を書く中でより私への理解が深まった。


今の私はなんなのか、アーティストと呼ぶにはまだまだ幼稚であると思う。

それは界隈の中ではという意味で。

それを置いて、私自身が何をしたいのかというところではしっかりした輪郭を捉えてきたぞという感触。


これまでの私は、作品を出すことでわずかに得られた情報を元に自分の中で情報処理が進んでいた。そして今私は次のフェーズにいるっぽい。


「正しさとはなんたるや」を描くという工程。

これまでが設計書作りなら、今は設計を元に建物を作っているという感じ。

やがてこの建物もパーツになって、次の建造物に組み込まれるのだろうと考えている。


自分で風呂敷を散々広げたが、説明が難しくなってきた。

感覚的には至極納得しているが、言葉としてどう伝えればいいのか、私の拙い語彙力では書けないことをお許し願いたい。


少なくとも、今の私は考えた結果を吐き出す工程にいる。

だから「問いかけ」というコンセプトが存在しないし、作る作品に前後関係が見えるストーリーは無い。


文字通り「正しさとはなんたるや」を描く工程なのだ。

これ以上は脱線しかしないので、今日はこの辺にて。

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